*合掌造 [#z8ec7eac]
#ref(http://static.flickr.com/29/66708806_6b17b3820b_m.jpg)
富山県南砺市(旧平村)田向、国指定重要文化財 羽場家

現存する中では最古(築250年以上)のものと思われる(近くの重文村上家は400年と言っているが定かではない)。

**概要 [#h804fe15]
参考:wikipedia[[合掌造り>WikiPedia.ja:合掌造り]]

#ref(gassho.jpg,right,around)
白川郷・五箇山の合掌造りの特徴としては以下の条件が考えられる。
+小屋組が「合掌構造」-つまり屋根を△型に木材を扠首構造(トラス構造)で組む。
+切妻
+勾配の急な屋根
+茅葺き
+平屋建て
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合掌材(屋根材)メインで屋根を支える構造は白川郷・五箇山以外にも全国的に分布していて、「合掌構造」自体は特殊な物でもない。合掌ではない屋根の構造としては「和小屋」がありこれは屋根材をいくつかの柱で支える構造である。

基本的に白川郷・五箇山では切妻屋根である。五箇山の合掌造には入母屋風のものがあるがこれは妻側には屋根材はないのであくまでも入母屋「風」である(上の羽場家参照)。また、白川郷・五箇山の境界に当たる岐阜県荘川では入母屋造り、富山県山田・八尾では寄合掌(寄棟造)と一般的な合掌とが入り交じっていた。

勾配が急なのは豪雪地である場所ならではのこと。また、養蚕の為か大型化していった。

茅葺きについては最近はトタンで茅葺き屋根ごと覆ったり、茅自体を下ろしてトタン葺きにしているケースがある(別途記述)。

#ref(http://static.flickr.com/15/69649946_149ad3798a_m.jpg,right,around)
ほぼ全ての合掌造は平屋(2階以上は基本的に屋根裏)であるが、わずかに2階建ての物があある(右参照)。昔は逆に軸組がない合掌材が地面まで下りているもの(原始合掌造、ナンマンダブツ小屋)が結構あったらしい。
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**構造の詳細 [#udb7db87]
***白川郷と五箇山の違い [#c5f9bee0]
-入口
白川郷はほぼ平入り(茅葺き屋根が見える面)、五箇山は妻入が結構ある(大型の物は平入りであることが多い)。
-庇(ひさし)
白川郷は平・妻側に板葺の小さな庇がついているが、五箇山の妻入の合掌は妻側まで本屋根と続けた茅で葺いてある(上 羽馬家参照)。茅がさらに必要となってしまうため、板葺に改造されているものが多い。それでも妻側に入口があるため、若干入母屋風に見える。五箇山のものに下屋庇がついていることは少ない(利賀にはあるものが存在したようだ)。

利賀にあった合掌は平入が多かったため、白川郷に近い。

***各部材について [#d53c6989]
#ref(gassho.jpg,right,around)
-チョンナバリ
#ref(http://static.flickr.com/35/69653354_84b3c5bb0d_m.jpg,around)

チョウナ梁ともいい、チョウナという道具に似ているから命名か?

主に広葉樹の雪で曲がった根本を利用している。広葉樹はまがりの外側に繊維が集まるので合掌材の重量を受ける場所としては理想的。また、1階の天井が高くなることも利点。

小型の合掌造にはないこともある。
-アマ (屋根裏)
#ref(http://static.flickr.com/18/69653380_cb3239d12f_m.jpg)
-サンガイアマ (アマが三層の場合最上部)
#ref(http://static.flickr.com/34/69653369_4bb4909d3c_m.jpg,around)

ミズハリなどが見える。ミズハリは棟押さえの縄・番線を結わえるためのもの。
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-茅葺き屋根の最下部
#ref(http://static.flickr.com/34/69649980_19dfbd8345_m.jpg)
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**分布 [#uf1429ab]
***富山県内 [#p9ea4e75]
基本的に「五箇山地方」:南砺市の内、旧 平・上平(・利賀村)に分布。
-平村
--相倉 23棟?
--上梨  5棟?
--見座 1
--田向 1
--道の駅たいらに移築された物がある
-上平村
--菅沼 9棟?
--西赤尾 2棟
--東赤尾 2棟
--皆葎 1棟
--猪谷 1棟
--小瀬 1棟
--合掌の里・民謡の里に移築された物がある
-利賀村
--移築されずに残っている物はない。移築された物がいくつかある。
***富山県内 過去 [#vca475ae]
最盛期には1200棟ほどの合掌造が存在したと思われる。

上に記述した五箇三村には全村にわたって合掌造が存在した。谷間を望むと全て合掌だったはず。

五箇山から平野へと通じる旧五箇山街道沿いの平野側の城端町(現南砺市)・若杉、福光町(現南砺市)・下小屋。これらは旧街道が廃れたりしたためにその運命を共にした。他に城端町上田、臼中にもあったと思われる。

五箇山の東隣の山田村(現富山市)・八尾町(現富山市)にも合掌集落があった。

このうち、八尾町には合計数十棟あった。同じ谷間で十数棟もあったところがあったがダム開発で姿を消した。
室牧ダムのある土玉生、小谷、茗ヶ島の各集落。数がまとまっていたのでダム開発が無ければ今でも集落が残っていたかもしれない。

他にも八尾町・山田村では合掌造があった集落がいくつも姿を消した。 

富山県内の分布図 △なのが合掌が過去に存在した廃村。小さな○(文字付)は現在存在するところ。
#ref(map.jpg)

***岐阜県内 [#d8e0267e]
調査中…

白川村以外にも荘川村、宮川村にも存在した。

**変わっていく合掌 [#q95d7f7c]
合掌造りは歴史の流れから生まれたもので、環境が変わっていくとやはり消えていく運命にある(物流の活性化、養蚕業・林業の衰退)。

その合掌の末路といえば以下のことがある。
-移築

これが結構多い。戦後、数100棟の合掌が全国各地に移築されていった。村内に資料館等として移築することもあった(白川郷:合掌文化村、上平:合掌の里、利賀:利賀芸術公園)。営業施設に移築された物は茅の葺き替え等をある程度することが出来、命をつないでいるが、個人宅などに移された物は葺き替えをしなかったりして材が痛み解体というところがでてきている。
-改造

蚕をやらなくなると大屋根は必要なくなる。よって、屋根に手を入れることが多い。
--茅を下ろし、トタン葺き化
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--合掌屋根を下ろし、2階建てに改造
#ref(http://static.flickr.com/34/69653441_ba76f8e5ca_m.jpg,around)

棟を同じ高さにするためか2階が小さいので見分けがつく。
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--茅葺合掌屋根の上からトタン葺き
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茅を葺きかえるのが大変なので茅の上からトタンをかぶせる。
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