一般に合掌集落といえば、岐阜県北部・飛弾地方の白川郷のことを思い浮かべる方が多いと思う。
だが、世界遺産には「白川郷・五箇山の合掌造り集落」となっているとおり、富山県・五箇山地方の合掌集落も含まれている。
五箇山とは富山県南部・庄川上流域の南砺市(の内、旧平村・上平村・利賀村)の山あいの村のこと。
赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の五つの谷をあわせて五箇山という。
これらの地域では、昭和初期まではほぼ全ての民家が合掌造りであり、その数、1000棟を越えていたという。
だが、現在は50棟を切っている(移築されたものを除いて)。
このうち、平村(現・南砺市)の相倉には23棟(+倉庫1棟))、上平村(現・南砺市)の菅沼には9棟(+倉庫3棟?)の合掌造りが現存する。
このほかに五箇山にはいくつかの合掌造りが現存する。
数がまとまってあるのは旧平村・上梨地区。重文村上家を中心に5棟ほどある。
上梨の庄川を挟んだ対岸・田向にも重文羽馬家と流刑小屋(移築、改造物)がある。ほかに平村には中畑にある。
国重要文化財 羽馬家
妻側に茅葺の庇がある古い型を良く残したもの
上平村には西赤尾に重文岩瀬家がある。その隣にある行徳寺の庫裏も合掌造りである。
他には皆葎、猪谷、小瀬にも1棟ずつある。東赤尾には2棟ある。
猪谷集落の合掌造り 倉庫みたい
妻側に茅葺の庇がある古い型を良く残したもの
小瀬の合掌造り (富山県指定重要文化財)
何年か前までYHだった(間取りは随分改変されている)
なにも"合掌集落"だけに合掌造りがあるわけではない。だが、維持できなくて今後も減っていくかもしれない。
五箇山地方に接する地域にも合掌集落がかなりあった。城端・福光の旧五箇山街道筋の山間の集落、利賀村の百瀬谷、山田村(現富山市)、八尾町(現富山市)。これらの地域では移築された物を除いては現存する物はないはず。
白川郷・荻町集落にはかなりの数の合掌がまとまって現存するが、五箇山は大きく開けたとところがなく、小規模な集落が多かった。
それでも最盛期には各集落あわせて数百棟の合掌造りが五箇山に存在したという(というより家と言えば合掌であった)。維持が大変な合掌造りは近代化されるとともに五箇山から姿を消していった。壊されたり、移築されたり、廃屋となったり…。今は合掌造りが無い集落の方が多数である。
上平村・菅沼集落の隣には村内から移築された合掌造りが13棟ある。合掌の里:宿泊体験等ができる施設となっている。
今は合掌集落が無くなってしまった利賀村にも村内から移築された合掌造りが7棟集まっている施設がある。利賀芸術公園
他に上平村小原の民謡の里周辺、平道の駅、利賀民俗館などに移築されている。
五箇山以外の場所にも移築されている。料亭、旅館などになっていることが多い。
そのうち、資料館等になっているものもいくつかある。
消防法、維持の関係上、茅葺きでないものもある。
川崎市立日本民家園:旧江向家(上平村細島)、旧山田家(上平村桂)、旧野原家(利賀村利賀)
富山市民俗民芸村:旧山岸家(山田村数納)等
茅葺きは手間とお金がかかるので、合掌造りを壊して改築する家が多かった。軸組部分が痛んでいて流用できない場合はそうなることが多いようだ。
その中でも構造がしっかりしていた家は改造したりしてもとの合掌造りをうまく使っている場合がある。
1つは茅葺きをやめるだけでトタン葺き等に改造する場合である。これは雪が落ちやすくある意味豪雪地帯には良い家かもしれない。アマ(屋根裏)の部分もしっかりとした部屋に改造する場合が多いようだ。
茅葺きをやめた合掌造り (数年前に茅を下ろしたらしい)
茅葺きをやめた合掌造り (最近茅を下ろしたみたい、窓も近代化されている)
トタンをかぶせた後、廃屋となってしまった合掌、チョウナバリがのぞいてる
もう1つは、軸組の部分だけをそのまま使うケースだ。合掌屋根がいらなくなるのは養蚕などをしなくなり広いアマがいらなくなるからで、合掌屋根をやめることが結構あったようだ。このような家は2階部分が窮屈なことが多いので見分けがつく。また、間取りも変えていないことが多いので1階部分の姿で見分けがつくこともある。
合掌屋根をやめた家
下梨集落。この集落は戦後早い時期から茅をやめた家が多い。軸組を生かして改築した家が多く、1階部分は合掌造りそのままという家も多い。
また戦後の過疎化の波で、集落ごと無くなってしまった所もある。
上平村の中心部から林道を十数km行ったところにある、桂集落。6棟の合掌造りがあったが40年程前廃村となった。今はダムの底である。
平村にも田代という集落が廃村となった。数棟の合掌造りがあった。
田代集落跡
利賀村でも菅沼(4棟)、新山、水無(数棟)などの集落が失われた。
五箇山から平野へと通じる旧五箇山街道沿いの平野側の城端町(現南砺市)・若杉、福光町(現南砺市)・下小屋。これらは旧街道が廃れたりしたためにその運命を共にした。他に城端町上田、臼中にもあったと思われる。
五箇山の東隣の山田村(現富山市)・八尾町(現富山市)にも合掌集落があった。
このうち、八尾町には合計数十棟あった。同じ谷間で十数棟もあったところがあったがダム開発で姿を消した。
室牧ダムのある土玉生、小谷、茗ヶ島の各集落だ。数がまとまっていたのでダム開発が無ければ今でも集落が残っていたかもしれない。
他にも八尾町・山田村では合掌造りがあった集落がいくつも姿を消した。
高岡市・カントリーレストハウス二上。福光町下小屋にあった合掌、屋根勾配は変えてあるらしい
合掌造りが現存する集落、施設、失われた集落(三角形の記号)をしめす(画像をクリックで大きい画像)。
五箇山には一般的な合掌造りではないものもいくつかある。
たちあげ造り(ハイカラ造り) [2階より上が合掌造りとなっている]
原始合掌造り [合掌の部分が地面まで下りている、合掌造り初期の物らしい]
婦中町にある炭焼小屋。上の原始合掌造りとよく似ている。北陸一帯の出作り小屋はこのような構造が多かったようだ。